谷村 秀

TANIMURA Shigeru

 洋食器メーカーであるNoritakeにて、国内外に於けるテーブルトップ全般のプロダクトデザインの企画立案•開発に従事。1998年以降、計6年間に渡り米国ニューヨークに駐在しデザインワークを行う。プロフェッショナル仕様では航空機内食器、ホテル•レストラン向け製品など数多くのデザインを手掛ける。
Masterpiece Collection」(共作)

略歴

1968 富山県高岡市生まれ 埼玉県新座市育ち
1996 東京藝術大学大学院修了
1996~ ノリタケ株式会社 (現在に至る)

備忘録

藝術との縁 –
 曽祖父である中島秋圃(本名・次郎)は東京美術学校を卒業した日本画家で、私は幼い頃から画家・教育者として彼が成した功績の数々を耳にしていた。祖父も同様に日本画家・美術教師だったことから、母方の実家のアトリエにはいつも画材等が転がり、お弟子さんや美学生がいたりなど、芸術の匂いが日常に溶け込んでいた。気がつけば私も自然に芸術の世界に引き寄せられていった。
 10代の頃、コーヒーブランドNのCM“違いのわかる男”シリーズに登場したレーシングカーデザイナー、由良卓也氏にも強い影響を受けた。彼のスタイリッシュで洗練されたデザインを見て、心の中で「こんな職業に就きたい」と思うようになり、創造の世界への憧れがますます強くなっていった。
中島秋圃:日本画家

– 鍛金との出会い –
 幼少期、鍛金という言葉すら知らなかったあの頃、私はよく友達と近所の塀を渡って遊んでいた。実家の右斜め前にあった、まるで「陰翳礼讃」に登場しそうな風情ある家屋から“カン カン カン”という心地よい音が定期的に響いていた。この音は何の音なのか?壁伝いに聞きながら、子どもの私には皆目見当がつかなかったが、十数年後に大学でその真相を知ることとなった。
 大学受験のために、私は3年間を「すいどーばた美術学院」で過ごした。毎年、一度きりの受験に臨むエネルギーを維持することは今思えば並大抵のことではなく、あの3年間は間違いなく私の人生の中で最も真剣に、そして真摯に勉強した時期だった。特に、3浪目の担任だった尾崎 悟先生には、ものの見方に関する技術面だけでなく、作品創りに於けるプロセスの重要性も教えていただき感銘を受けたことを覚えている。
 なんとか無事に大学に入った後、幼少期から続けていたが受験で休んでいたサッカーを再開した。芸大蹴球部には、鍛金研究室の先輩方が多数おり、自然と鍛金の道を選ぶこととなった。鍛金に進んだ同級生は9名(男子7名、女子2名)もおり、にぎやかな学年だった。その後の大学院時代に、新たに取手校舎が完成し、前期をその地で過ごすことになる。そこで出会ったのが、山本一樹先生である。驚くべきことに、あの“カン カン カン”の音は、なんと一樹先生の御祖父様のご自宅であり、彫金をされていた時の音だったことを知る。当時、一樹先生は高校生で、私の母に聞くと、良いご近所づきあいをさせていただいていたという。幼稚園児だった私には知る由もなかったが、まるで運命に導かれたかのような感覚に襲われ、私の進む道は決まっていたのだと強く感じたのだ。

– インハウスデザイナーとして –
 鍛金研究室での学びは、私の人生の礎となっている。宮田亮平先生のもとで、公私ともに多岐に渡る教えを受け、その深い知識と指導に触れながら過ごした日々は、今も心に深く刻まれている。大学院を修了する年に、先生から「一度は企業や学校外の組織に身を置くことは長い人生において価値がある」と助言をいただき、私はノリタケという洋食器メーカーにテーブルトップをデザイン・開発するインハウスデザイナーとして入社することになる。当初は数年程勤め、その後は作家としての道を歩むつもりだったが、意外にもデザイナーとしての道が続くこととなり今日に至っている。振り返ると、ノリタケという企業との相性が合っていたこと、そして大倉陶園に在籍されていた大先輩の存在が、私にとって大きな支えとなったことを今更ながら実感している。
 鍛金出身者でありながら、陶磁器洋食器メーカーに所属したのは、私の知る限り、故・百木春夫さんと私だけであろう。百木さん(鈴木治平先生の2つ上の先輩)は、日本を代表するデザイナーとして長きにわたり大倉陶園でご活躍され、後に同社の社長も歴任された。晩年に治平先生が銀座で展覧会をされた折りに、百木さんについて伺ったことを今も鮮明に覚えている。「学生時代からとても紳士的な先輩だった」と。その姿勢は、百木さん自身が築いたものであり、代表作となるデザインに色濃く反映されている。また、百木さんの御父上も、東洋陶器(現TOTO株式会社)の社長を務められ、親子ともども日本の陶磁器産業を牽引された功労者であったことを、この場をお借りし記しておきたい。
百木コレクション:大倉陶園

– 結び –
 振り返れば、私はこれまで数多くの“素材”との格闘と対話を繰り返してきた。鍛金では銅、鉄、アルミといった金属と向き合い作品創りに没頭してきた。一方で、テーブルトップの世界では、白磁、ボーンチャイナ、クリスタル、ステンレス、アクリル、ファブリック……。まるで異なる性格を持つ素材と共に、日常に彩りを与える洋食器をデザインしてきた。
 素材は決して従順ではない。少しでも傲慢に扱えば必ずその反動を受けてしまう。だが、誠実に、丁寧に耳を傾ければ不思議と導かれるように手の中でカタチが生まれていく。その道理を知ってはいても上手くいかぬことも多いので、まだ道半ばなのだろう。
いま、人工知能とテクノロジーの進化が猛烈な速度で日常に入り込んできている。ChatGPTのような生成AIに話しかけるだけで、立体作品や製品が作れてしまう時代が、もう目の前にあるという。便利さの裏に、創作する“手の感覚”や“身体の記憶”が薄れていくのではないかという一抹の寂しさも感じる。しかし、素材に触れ、身体を動かし自分の内なる情熱を注ぎ込んで作品を「創る」その瞬間の悦びは、何物にも代え難いことを私は知っている。それは、道具が変わっても技法が変わっても、決して色褪せることのない人間の根源的な歓びだろう。
 そのような想いを胸に、2025年、鍛金研究室の諸先輩方が発起人となり「鞴の会」として卒業生一同が紡いでいける場を設けていただいたことに感謝と期待を抱きつつ、新たな未来を拓く後輩へ誇りを持って鍛金の道を探求してほしいと願ってやまない。